プライベート
昨年末に東京から地元にUターンし、2024年度はずっと地元で生活した。東京にはかれこれ5年いたことになる。
地元ではマトモな職がなかったため、ツイッターのフォロワーの誘いもあり「フリーランスのソフトウェアエンジニアで月収100万!!」みたいな景気のよい話を真に受けて上京してみたら本当にそういう給与レンジに数年で到達できたので上京しての就活は大正解だった。
しかし東京の生活は自分には合わない面もあり、特に家族が近くにいないのはキツかった。お金を稼げるようにはなったが、稼いでそれで何するの?というエクスキューズに対する答えを見つけられなかった。
お金が溜まっていけば早くFIREできるというのはそうだが、その生活が楽しいかというと疑問符がついた。
たびたび実家に帰るときに東京駅で山ほどお土産を買って帰ると楽しいということがあり、つまりお金を稼いで家族に分配するという本能的な喜びが東京での一人暮らしでは日常的には得られなかったのだと後で気づいた。
年老いていく家族に年何回かしか顔を合わせない生活だと、あとたかだか何十回か会ったら終わりだというのも受け入れがたかった。
地元に戻ってからは上記の問題は解消し、ストレスなく生活できている。
仕事
2019年から外資ソフトウェアベンダーでSupport Engineerとして働いており、ここ数年はManagerを兼ねるような仕事をしている。
2023年の後半に休職してスノボで負傷した肩の手術とリハビリをした。術後に完全に手を同じ姿勢で固定しなければいけない期間があり、そのストレスでパニック障害のような症状が出たりして…、とそれはそれで大きなトピックなのだが、他に遥かに大きなインパクトの事件があった。そう、休職から戻ってきてみたら部署のリーダー3人のうち、2人が辞めてしまっていた…。
残された3人のうち1人である私の2024年は、それはそれは大変なことになった。
以前は他のリーダー1名がサーバー関連(Server Line)の製品群を見て、私を含む2人がデスクトップ関連(Desktop Line)の製品群を見ていたのだが、私が1人でDesktop Lineを見るようになった。Server Lineに関しても新しいリーダーの習熟までフォローを行ったが、これは新たに選出されたリーダーが優秀なこともあり、負担としては軽いものだった。
部内には30名弱のスタッフがいて、2/3程度がDesktop Lineに属している。今年は彼らのマネージメントをより深くやってきた。
グローバルと横並びで見たときのJapanのKPIの弱さ(NPSがNeutralに偏る)を私は特に気にかけてケアを行った。KPI改善のための施策として、すべてのサポートスタッフが質問をいつでもSlackチャンネルに投稿できるようにして、この回答を質問を受ける側に義務付けた。誰でも質問に回答してよいが、回答がなかったり、回答者も判断に迷えば質問は最終的に私に上がってる。他の施策もあり、全マネージャー、全スタッフが今年は注意をしてケアを行えたと思う。
数多くの製品を持ちそれぞれが急速に進化するため、製品ごとに置いたSME(Subject Matter Expert)のトレーニングは常に行っていかないといけない。
以前から進められているグローバルへのアラインによって、担当製品群に関するVirtual TeamにJapanからも参加して双方向のコミュニケーションを取るようになった。
このMTGが目下最大の課題で、私の英語力が必要なレベルに達していないことによって、かなりの事前準備のコストを払いストレスを受け…、そしてそれに比例した楽しさ、やりがいを感じている。
顧客から個々の問い合わせに関してはJapanもグローバルも類似した内容になるということはわかっていたが、マネージメントのレベルでも、これまで我々が悩んできたあるいは解決した問題が、グローバルと共通であるということは新しい発見で、このレイヤーでの知見の共有によるシナジーは今後私がやっていかなければならないことになるだろう。
いろいろチャレンジはあったものの、なんとかなった。立場が人を作るという格言に共感する1年だった。